“議論”を辞書で調べると【それぞれの考えを述べて論じあうこと】とある。
“議論家”となると【議論するのを好む人。また、議論をうまく行う人】とあった。
私は【うまく行う】自信はないが、少なくとも【議論するのを好む人】の範疇には入ると思う。
一般的には【議論好き】に良いイメージはないだろう。
結果として意見の交換はあっても、議論のための議論などウザいだけである。
そこから抜け出すまでに随分と時間がかかった。いや、今でも議論の虫はウズウズと蠢いているが、程度をわきまえるほどには大人になったような気がしなくもなくもないかもしれないようなごにょごにょごにょ……
私の持論であるが、議論のための議論を楽しむためには、お互いを心底認め合った者同士でなければ成立しない。
意見は違えど、何をぶつけてもコイツならちゃんと租借してくれるという安心感がなければ苛立ちが先立ってしまうからだ。
それから「主題」を見失わないこと。
論理のすり替えは議論のテクニックの一つだが、あまりにも主題から離れてしまったら、それはもう泥仕合の一途である。
偏見とそしられる覚悟で言うと、女性はこれがまことに多い。男性諸氏はうんうんと頷いてくれるのではないだろうか(笑)
そんな前提を踏まえたうえで、議論できる友人が一人いる。
今は住まいが離れてめったに会うこともないが、彼と語り合った夜は100や200じゃきかないはずだ。
音楽も映画も女の趣味もまったく違う。お互いの友人からお互いに「なんでアイツなんだ?」と不思議がられる。
ある人の日記に、こんな一文があった。
「本当に会いたくなったら、どこにいたって会いに行くわよ」
そんな友人が、一人いる。

